考える葦

日々の記録。

【危機/不定形】

2月24日(金)

MAT Nagoyaにて去年に引き続き

「絵画の何か」という展覧会のpart2企画。

同時にトークシリーズ「絵画の夕べ」も開催されており、「危機/不定形」有馬かおる×梅津庸一×佐藤克久のアーティストークを聞いた。

 

こんなにもスリリングなアーティストトークを私は未だ聞いたことがない。前半1時間近くほぼ独壇で話し続ける梅津さんの饒舌なトークは、美術ファンとしては鋭い切り口がめちゃくちゃ面白かったんだけど、美術をやってる人からしたら相当痛い所を突いた話だったんじゃないかと。トーク終盤の佐藤さんの見たくないことを見たほうがいいという言葉が印象的だった。

 

梅津さんはパープルーム予備校という集団をつくり、新しい美術をつくる活動をされている方。美術の新しい共同体、パープルーム | MASSAGE

2年前くらいに山下ビルでパープルームが初めて名古屋で展示をした際、パープルームという響きやホームページの怪しげな雰囲気からカルト集団ぽい印象を持っていたのだけど、恐いもの見たさの好奇心と梅津さんの存在を知ったきっかけであるファンデナゴヤの「であしゅとぅるむ」の展示が面白かったこともあり、観たいが勝って行ったのだ。

結果、パープルームはカルト集団ではなかった。純粋に美術をやっている集まりなんだと。ただ、山下ビルの展示は一言で言うとカオス空間だった。閉じきっていたし、どう考えても歓迎されていない感がどうにも辛く、いろんな意味で衝撃だった。

 

話を現在に戻す。

そのパープルームが名古屋の各所で展示をすると知り、私の中の好奇心がまた動いた。

2月半ば、愛知県美術館の梅津庸一「未遂の花粉」を観た。近代洋画と趣向を凝らした解説の中に梅津庸一作品が並ぶ。

 作品の中に無数に描かれた点々は点描画にも見える。作家は自らがラファエル・コランや黒田清輝の作品に扮したモデルとなりこちらを見ている。美術史を辿ることで新たな価値を見出しているのかとも思ったけど、そんな単純なことではないような気にさせられた。f:id:nmnlxnmnl162:20170226110345j:image

奇妙な感覚だった。美術作品として純粋に美しいと観ているはずなのに、自分の理性が働いてじっと見てはいけない気がする。パブリックな空間で男性が裸でいる。それをまじまじと見ることはいけないことをしている気がした。普通に考えたらおかしいことが美術では起こりうる。それが楽しいし、美術の寛容性に救われる瞬間だと思う。記憶にも新しい猥褻問題で作品撤去なんてほんとにナンセンスでしかない。

ギャラリーNでの展示は

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小学校が目の前という土地柄もあり、梅津さんが「智 感 情」のポーズでメトロノーム調に揺れる映像が猥褻だと学校側と一悶着あり、梅津さんが学校に乗り込み説得したという話しを聞いた。これから作品を発表するにあたって、この人はきっと自分の表現を守る為にいろんなことと闘わないといけない人なんだなと。その切実さは作品にも現れているし、パープルームという活動にもまさに現れている。

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MAT トークの中で気になったワード。

名古屋のアートシーンは良質な作家も生まれる環境だが、均質化されていて(フラジャイルモダンの量産)、閉鎖的。

ひとつの機関や制度に安住することは美術じゃない。 

近代美術を生き直す。

 

美術を知らない人からすると、

フラジャイルモダンはデザイン的で、お洒落な絵として人にも紹介しやすく、アートとして入りやすい。

梅津さんや有馬さんのようにギリギリの所で美術を続けている人の作品は自分の陰の部分をさらけ出している危うさに惹きつけられるものがある。

選択としてどちらを選ぶかといった時

強引に言ってしまうと、美大に入って先生やって、フラジャイルモダンになるというモデルパターンが愛知にはできてきていることが問題?

 

自分が見たくないものにも目を向けることで

見える景色があるとしたら

それはどんな景色なんだろうか。

 

今回のトークは愛知の美術がもっと面白くなるための起爆剤的な意味でも意義のある時間だったと思う。(そうならないと梅津さんがただ名古屋批判をしただけになってしまう)

これからを思うとワクワクした。美術って深いなーって、もっといろいろ知りたいという探究心も湧いた。